50代 今日もいいことひとつ

日々いいことひとつ探して

決断したこと



母のケアマネージャーさんに、デイサービスとか利用するのにどれくらい費用がかかりますか?と聞いたら、世帯分離すれば安くすみます。と言われ、世帯分離?って何?と思ってた所に図書館で見つけました。

只今、勉強中😅


あっという間の7月で、オリンピック開幕です。

5月に父が亡くなり、バタバタと落ち着きがなかったのですが、四十九日が終わりやっと落ち着いた7月ですが…

6月は揺れに揺れての決断の月でした。


今のバイト先は今年の7月で10年目に突入。週3日勤務とはいえ、経理をしていた社長のお母様が体調を崩して引き継いでから、忙しくなり責任も重くなり…しかも業務拡大で通常業務とは違う仕事がわんさか飛び込んできて💦

のんびりやるつもりのバイトだったのに、バリバリの若い社長のやる気に振り回されるようになってきました。と言っても頼りにされるのはうれしいものです。やればやるほどのめり込んでしまいそうで…コワイ(^_^;)


そんな時に父が亡くなっての母の介護問題。

兄家族が同居とはいえ、定年退職した兄がほぼ1人で母の相手をしなくてはならなくなりました。なかなかハードなんですね、これが。介護に軽いもないのですが、精神面に余裕が無くなっているのです。コロナを理由に帰省もせずにのほほんと暮らしていた末っ子は、ホントのんきでした💦


頻繁に帰ろう!と思い立ったのです。

91才の母の寿命があとどれくらいかわかりませんが、このままだと兄も母も不幸です。母には穏やかな日々を過ごしてもらいたい。

ちょこちょこ帰省して母の相手をして、兄が休めるようにしたい。

「バイトは辞めよう。」これが決断です。

とはいえ、決算もあるし、引き継ぎもあるしで年内は続けることになりますが、とりあえず社長にも伝えることができました。

よく考えたら、仕事もそろそろ引き際でした。途中から一緒に仕事を始めた社長の奥様に不満ばかり募らせてましたが、私がいたら目の上のタンコブですよね。私がやってしまうから、まっ、いいかで覚えない。悪循環でした(>_<)

仕事の方が無事引き継ぎできたら、母を優先しようと決心しました。


いずれ訪れる自分達の老後も考えながら、試行錯誤していこうと思います。

四十九日

父の四十九日法要も無事終わり、ひと息つきました。といっても、何かと忙しかったのは実家の兄ですが…

納骨も済ませ、やっと肩の荷が降りたことでしょう。お疲れさまでした。

遠くに住む末っ子はホント役にたちません。

でも、姉妹がいてホントよかった、と兄が言ってくれて嬉しかったです。

年が離れているので、子供の頃は特別仲良しだった訳でもないですが、大人になってそこそこいい関係でいられるのは幸せな事ですね。


認知症の進んだ母の世話は何かとストレスになっているようです。怒鳴ったかと思えば、食事の世話を細やかにしてあげていたり…

一緒に暮らすってキレイごとではないので、難しいです。母も兄も穏やかに過ごせる時間が多いといいなあ、と思います。

コロナが落ち着いたら、もう少し頻繁に帰省して母の相手をして、兄の負担が減らせればいいなあ、と考えているところです。

帰りにはまた沢山のタラの芽をもらいました。どんどん増えていると言うので、小さいものをもらって家の庭に植えてみました。

(写真を載せようとしましたが、『この画像は対応していません。』と出てしまいました。

今まで出来ていたのに、何がいけないのでしょう💦)


庭に蔓も伸びずに朝顔が咲いていて驚いた。


GW明けに実家の父が急性腎不全で亡くなった。享年90。

4月の始めに体調を崩して入院するも、4月末には退院。入院中、同居する兄もコロナ禍でお見舞いもままならず、着替えなども看護師さん経由で、会えないと聞いていた。

東京から行っても迷惑をかけるだけ、と帰省も控えていた。

退院して早速、兄はLINEビデオ通話で連絡をくれた。父とも退院できてよかったね、と話をした。

ところが、あまり体調が良くなく、心配した兄が病院へ相談して再入院。

GW最終日、兄たちに会いたいと父が言い、家族を呼んだ。兄はまたLINEビデオ通話で会話をさせてくれた。父は起き上がり、腰が痛いからマッサージに行きたい、とか言っていた。意識が無いとかじゃないし、ベットで起き上がり話もしていて、急激に悪くなっている様にも見えなかった。会えたら、腰くらい、いくらでもさすってマッサージもしてあげられるのに、と思った。


私は、ちょうど仕事も忙しくない時期で、PCR検査を受けてちょっと帰ろうか、と思い付いた。

ホントに急に思い付いた。

面会をさせてくれるかどうかわからないが、近くに居てチャンスがあれば会えるかも、と考えた。

GW明けの6日午前中に近所の病院でPCR検査を受けた。濃厚接触者でもないので自費検査で、3万円かかった。正直高い!と文句も言いたい位だか仕方ない。結果は翌日の夕方4時~8時に直接携帯に連絡をくれると言う。

とりあえず、駅前のビジネスホテルを4泊予約した。キャンセルはできないが破格の12000円。PCR検査の半額以下!と驚愕。

昼食後、図書館に寄りつつ、珍しく夫と1時間ほど散歩。

帰宅後、明日の帰省の準備でも、と思っていた時に兄から電話。父の容態が急変して病院から連絡があったと。

間もなく、駆けつけた姉から父が亡くなったと連絡があった。兄も姉も間に合わなかった。

お見舞いの為の準備が葬式の為の帰省になってしまった…

翌日、PCR検査結果はまだだが、ホテルで待機しようと新幹線に乗った。結果が出るまで実家には寄れない。万が一、陽性だったら、葬式ができなくなってしまう。連絡が来るのを待つしかない。夜8時直前にやっと連絡がきた。陰性!と。

甥っ子が迎えに来てくれてやっと実家で父に会えた。穏やかな顔で、昼寝でもしているようで、声をかけたら目を覚ますんじゃないかと思えた。


すぐの土日でお通夜と告別式。

お寺で家族や親戚、ご近所の方に参列してもらい、送り出せた。コロナ禍を考えれば、みんなに見送られ、よかったと思う。家からお寺に向かう時にご近所の方々が集まってお見送りをしてくれていた。65年住んだ地ですから、長い付き合いの方々です。ありがたいことです。


父は全くボケもせず、年齢的な物忘れもないくらい、耳も遠くなく、兄が退職するまでは、月1に電話で30分も話をしたものです。体調崩して入院した日も、畑に出てトラクターを運転してた、というくらい動いていました。長患いせず逝く事ができたのは父にとってもよかったのではと思います。願わくば、私もそのように人生の最後を向かえたいと思いました。


父が挿し木をしたいといっていた紫陽花。

ご近所で見つけて写真を送ったら、いたく気に入ったようでした。機会があれば頂いて家に植えますね。